トラック野郎 最大の再注目チャンス到来

僕にとって、菅原文太は、『北の国から』で裕木奈江を孕ませた純と五郎さんに誠意とは何かを説くお父さんでもなければ、「仁義なき戦い」でもない。ましてや原発云々など晩年の菅原文太でもない。

僕にとっての菅原文太は、『トラック野郎』の一番星桃次郎なのだ。

観たことがないという人にいつも「寅さんを見るなら、トラック野郎を観るべし」と言い続けてきた。2週間前にも美容室で担当の女の子にアツく語っていたほどだw
そんな僕にとって今回の訃報を、あえて。あえて「トラック野郎」の面白さを世に再発見させしらしめるポジティブなニュースと思い込むことで菅原文太へのお別れの言葉とさせてもらうことにする。

なぜ、ポジティブなのか。

大衆とは相変わらず冷酷な生き物だ。民意とまでは言わずとも、人は群れをなし「世間」という群像に埋没すると、その意識は理性をいともたやすく放棄する。
自らの意志に責任を持つ義務がなくなるために、人間の本能的な残虐性が牙を向く。
だから、不幸は絶好の酒の肴となるわけで、だからといって、それを否定する気は毛頭ないし、これを否定することも一種の偽善だと思う。

が、しかし、そんな中で、大衆が唯一無条件降伏するキーワードが「死」だ。正確には完全無欠とまでは言わないが、凶悪犯罪事件などで耳にする「死」以外の「死」については、ほぼすべてが無条件にすべてを好意的に肯定しだす魔法の言葉だ。

人は死に対し、簡単に慈しみ、安易に嘆き、いともたやすくその死を悼む。

高倉健が死んだ。これは、日本の映画界にとって大きな悲しみだ。それは間違いない。
しかし、本当にショックだった人はどの程度いたのだろうか。どの程度、生前の彼の本当の凄さを知っていたのだろうか。2014年現在、40代の人でさえ 「幸福の黄色いハンカチ」をちゃんと観た人がどれほどいるのか、甚だ疑問である中、彼の死がニュースに流れたとたん「高倉健が死んだんだって」、「あんな すごい人が亡くなったのか…」と、あたかも彼の偉大さを生前から知っていたかのような物言いで世の中は彼を語り出す。

突然、追悼番組と言いながら、映画を放送する。そこで初めて彼の作品に触れる人は「死んでいる人が出ていた偉大な映画」というバイアスにかかった目線で鑑賞するのだから、もうその映画を適正に評価することは(少なくとも追悼の意で見ている限り)できなくなっている。

忌野清志郎が死んだ時、日本のミュージックシーンに大きな影が落ちたことは間違いない。
しかし、結局本当に彼のことを愛していた人はどれ程いたのだろうか。死んだあとに出たCDが一番売れたという事実がそれを物語っているのではなかろうか。

どちらも、その業界ではカリスマだったし、その世界では偉大な存在であったが、その評価は必ずしも、民衆の評価には繋がっていないことを知っていなければならない。

菅原文太が死んだ。やはり、銀幕のスターだったことは間違いない。日本の銀幕の歴史に名を刻んだ名優である。しかし、結局彼のことを悼む筋合いは大抵の人はないのだ。

だって、彼のこと、何も、知らないんだもん。

知らないのに「なんかすごい人だったんでしょ」ってレベルで勝手に死を悼む。なぜなら、彼は、長いこと芸能界にいるから自分の人生で触れるメディアに、 ちょろちょろ出続けているから、出てるテレビで関係者がみんな尊敬してるのを知っているから、すごい人って思っているだけで、本当の凄さなんて僕たちは知 らないし、知ることができない。いや、できるとしたら、それは本当のファンだけなんだ。

それなのに、僕たちは、勝手に老年のスターの死を悼むのだ。

少なくとも、同世代の死を悼もう。
老年のスターと一緒に僕たちは人生を歩んでいない。
全盛期の彼らを知らない。知ろうともしてないのに、死んだら悼むのはむしろ失礼かもしれない。

…という思いのもと、このトラック野郎のことに関してのみは「ファンなので」言わせてもらおう。

この映画が、彼の同世代ではなく、僕やそれより下の世代の人の目に再び触れる機会ができる最大にして最後のチャンスが、この「主役だった役者の死」であり、それが今回なのだ。だから、僕はポジティブに彼の死を悼む。

今だ。今しかないのだ。RIPとか言ってる暇があったら、とにかく追悼でいいので、「トラック野郎」を見て欲しい!!!

寅さんのような人情喜劇と男臭い生き方。70年代の日本はまだまだアジアだったのだ。違法無線片手に日本を行き来、高速道路のパーキング(いや、食堂)で は喧嘩するけど、何かがあれば皆で助けて、仕事が終わればトルコ風呂。毎回出てくるマドンナに恋をしては儚く散って、グッとこらえて最後は何かをどこかに 運ぶ、愛すべきトラック野郎。

これを「下品、古い」と一蹴するのは簡単だけど、30年後2010年の映画が「古臭くて下品」になる可能性を考えると、古いというだけで否定することな く、観てみて欲しい。ボルサリーノ兄弟の田中邦衛も、カムチャッカの梅宮辰夫もみんな若い。すぐに○○音頭って曲ができちゃうあの頃の時代、日本はとりあ えず元気だったと思う。