「いい人なんだけどね」という免罪符を使わざるを得ない時点で、そいつはいい人ではない

「いい人なんだけどね」

 

この言葉を何度使ったことだろう。

これを使うときはだいたい、愚痴を言っている時か、人の悪口を言っている時だ。ある出来事で悪口の対象となる人物について仲間内でああだこうだと言い合っている時の最後に出てくるのが「でも、いい人なんだけどね」という言葉。

 

実際にそうなのだ。嫌な部分もあるが、その人は実際にはいい人なのである。

ではこの「いい人」ってなんなのだ。

 

結局この「いい人」は善人悪人どちらであるか。という判断の元「善人」という言葉を用いているだけであって、日本国憲法を遵守し、社会的に法を犯していない人物。という意味での「いい人」なのである。家族がいたり、親がいたり、その人なりに一生懸命自分の人生を全うしているのだ。

 

だから、いい人なのか。

 

いや、違う。「いい人なんだけどね」という言葉を使われている時点でこいつはいい人ではない。糞野郎なのだ。「いい人なんだけどね」という言葉を使う側が、「この人の人間性までは中傷していませんよ。いい人という部分もきちんと理解している上で悪い部分を指摘しているんですよ」という一種のヘッジをとっているだけである。

 

僕はこのヘッジは重要だと思っているが、改めて考えてみると日本人の98%位はいい人だと思う。少なくとも社会人として一般的なサラリーマンのような環境であれば、いい人だ。殺人犯でもなければ放火魔でも、レイプ魔でもなんでもない。ただの一般の人間なのだ。

 

だが、僕達の前では決して「いい人ではない」のだ。

 

こいつらは結局いい人なんかではない。

 

いい人なんだけど。という言葉は、警察にお世話になるような奴ですら「いいやつなんだけどね」と言われてしまう人もいる。

いい人は、全員だ。そして全員『いい人ではない』のだ。

 

だから、いい人なんだけどね。という言葉はもはや意味は無い。人をむやみに傷つけ不可解な態度で、悪口の対象になってしまう人間はいい人であろうと、やはりいい人ではなく、少なくとも悪口を言っている仲間内では、いい人ではないのだ。いい人ではないから悪口を言われるのだ。

 

いい人なんか、いらない。悪い人でいいから、人をむやみにさえ傷つけなければいい。ただ、それだけなのだ。